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2013年02月14日
病は気から
昔から「病は気から」とよく言われます。
最近このことを強く感じています。
私の高校の後輩(とは言っても、私より19歳年下。Facebookの出身校のグループで知り合った)が、昨年脳腫瘍で余命6ヶ月の宣告を受けました。約2ヶ月の間、欝と引きこもりで、誰とも喋らなかったそうです。もちろん電話にも出なかったらしいです。
そんな彼が、あるきっかけがあって、高校時代の同級生にこのことを打ち明け、彼から私の同級生が聞き、同じく後輩の経営する焼肉店に連れてきました。私はそこで初めて彼にあったのですが、とにかくよく泣いていました。それは病気のことで泣いているのではなく、私たちの励ましが嬉しくて泣いていたのだと思います。
その後私の同級生がFacebookに彼のことを投稿(もちろん彼の承諾を受けて、このグループ内の投稿)したのが今年の初めでした。以来、毎日多くの先輩後輩たちから励ましのメッセージがあとを立ちません。その数すでに700件になります。まだ3週間だというのに・・・
彼自身、とても前向きに考え方が変わってきていることがコメントから分かります。そして体調もいい方に向かい始めているようです。
最近は毎朝「おはよー」の挨拶コメントになっていますが、実は励ましている私たちが、彼の「生きよう」という前向きな姿勢に、励まされているのです。仕事でつまらないことがあっても、「あいつが頑張っているんだ。こんな些細なこと、あいつの気持ちに比べれば・・・」などと考えることができます。同じやるなら笑顔で行こうと思えるのです。
きっと病気に勝って、完全復活してくれると思います。それには薬ではなく気持ちなんだと感じています。
今日も「おはよー」のコメントして勇気を分けてもらいました。 -
2013年03月09日
出会いの大切さ
私が度々読み返す文章があります。
人にはいろいろな出会いがありますが、時にはその人の運命を左右するような出会いもあります。
そのような出会い・縁を大切にしたいと思います。
以下にご紹介します。
その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」
とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。
三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」
後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、
とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」
十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
五年生の時に担任してくださった先生です」
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」
と一行、書き添えられていた。
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本誌連載にご登場の鈴木秀子先生に教わった話である。
たった一年間の担任の先生との縁。
その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、 それからの人生を生きた。
ここにこの少年の素晴らしさがある。
人は誰でも無数の縁の中に生きている。
無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。
大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。
『致知』2005年12月号 総リード
投稿 -
2013年04月23日
ゴット・ハンド
「最近社長のぼやき更新してないね」とあるお客様よりご指摘をいただきました。
ということで、今日からは毎日・・・とはいきませんが、まめに更新していこうと思います。
先週の土曜日、私の妻が急に歩けなくなりました。左足が上がらなくて、つかまり歩きもできません。
突然のことだったので、びっくりしたのですが、マンションの5階から駐車場の車までも移動できない状況でした。
とりあえず近所の整形外科に行き、車いすを借りてきて、それに乗せて運びました。
病院では湿布と飲み薬だけの治療でした。翌日になって、立ち上がることはできるのですが、歩くのがつらいので杖を買ってきました。さらに翌日になっても良くならないので、野田にある整骨院に行くことにしました。
ここの先生は「ゴット・ハンド」の異名を持つ海外の新聞にも紹介された先生です。私はライオンズクラブを通して知り合い、一緒にボランティアをしたり、一緒に飲んだりする仲です。
妻も私と一緒に数回この先生に施術をしてもらっていました。足の痛みが引かない妻は、「いつものようにやられたらこわい」と行くのをためらっていました。半ば無理やり引っ張って先生を訪ねました。
横になってわずか5分。体の歪みを治して、足を引っ張って「コキコキッ」「はい、歩いてみて」「え~!」今までのことが嘘のように、普通に歩いています。最近の寒さで、腰椎の筋肉が緊張したのだそうです。
整形外科で指示された湿布も逆効果、冷やしてはいけなかったのだそうです。
それにしても噂通りのゴット・ハンド!これからもよろしくお願いいたしますm(__)m -
2013年04月26日
伊勢神宮特別参拝
先日伊勢神宮の外宮と内宮を特別参拝させていただきました。
土曜日で天気もよかったので、たくさんの参拝客でいっぱいでした。当日はボランティアのガイドさんが付いて、細かく説明をしてくれました。改めて日本の歴史と、天皇のありがたさを再認識いたしました。
ところで、日本の歴史教育は戦後ゆがめられて、天皇のことをあまり教えてもらえませんでした。現在もそうですが、みなさん日本の初代天皇はだれかご存知ですか?現在の天皇陛下は何代目かご存知ですか?答えは初代神武天皇、現在の明仁天皇は125代目の天皇です。日本史の教科書に初めて登場する天皇は推古天皇ですが、その前に登場する卑弥呼はまるで天皇の先祖であるがごとく記述されている。この卑弥呼は、そもそも天皇ではない。えたいのしれない人を教科書に載せて、肝心なことが書かれていないというとても考えられない状況です。
アメリカ人で初代大統領を知らない人がいるでしょうか?占領軍によってゆがめられた歴史教育を早く取り戻さなくてはいけないと思います。
伊勢神宮の歴史と日本の歴史を聞いて、日本人に生まれて本当によかったと思いました。 -
2013年05月01日
ウオーキング
今日から5月になりました。今朝は少し寒かったですが、さわやかな季節です。
ゴールデンウィークもちょうど中日でしょうか?でもやはり今日は普通の日ですね。
先日整体の先生に診てもらった折に「早歩きで手を振って歩くのが体に良い」と言われてから、意識して歩くようになりました。昨日も17分くらい早歩きをして、行きつけのもつ焼き屋に行って、ホッピーを3杯飲んで、また早歩きで帰ってきました。30分以上歩いた計算になります。目的を持って歩くのと、景色などを楽しみながら歩く散歩では歩き方も全く変わります。
「健康のために歩いて、お酒を飲んでは意味がない」というご意見もあるかと思いますが、非常に快調です。とりあえず目的を持って、楽しく続けていきたいです。
今日から普段の食事も変えましたので、しばらく続けてみて、ここで皆さんにいいご報復ができればと思います。 -
2013年05月07日
少しずつ復興。でもまだまだ・・・
5月の3日4日と宮城に行ってきました。石巻の仮設住宅に全部で1500キロのお米をお届けしてきました。
実は仮設住宅に行くのは初めてで、東北に行く時には仮設住宅の前を車で通るだけで、仮設住宅の方とお話をするのは初めてでした。
お話を聞いた方はみなさんとても明るく、冗談もたくさん飛び出していました。ただ、言葉の端々に「元気出さなくちゃ」「前向きになれた」などという表現が出ることがありました。きっと忘れられない恐怖と悲しみの中から、早く抜け出そうと歯を食いしばっているんだと感じさせられました。
石巻のライオンズクラブで活躍されていて、以前から交流のあった阿部さんは、「物資はもう足りているから、あとは自分たちで何とかする。ただ、みなさんは思っていてくれればいい。震災の記憶は無くならない。無くならないけど記憶は薄れていくもんだ。それでいいんだ。忘れないでくれれば・・・」と仰っていました。自分自身が被災者である彼の言葉にはとても重みがありました。
これからもずっと関わっていきたいと思い、そうしようと決めました。頑張れ東北! -
2013年06月29日
気力充実!
以前ここで「病は気から」という投稿をしました。
余命6カ月を宣告された後輩が、生きる気になって病気と闘っていき始めた話です。
悪性腫瘍が悪い位置にあったことと、体力が落ちていたため手術ができず、余命宣告をされたのでした。
その彼が、自分から「生きよう!」と誓ってから、腫瘍が少しずつ小さくなり、体力も回復してきたことで、手術が受けられるようになりました。その手術が先日無事に終わり、現在はリハビリの生活に入りました。
まだまだ完全復活とは言えませんが、顔色を見ても日に日に良くなっているのがわかります。
本人が一番大変だったと思いますが、気力でここまできたことに奇跡を感じます。
やはり自分を支えるのは自分の気力。そしてその気にさせてくれる家族や友人なんですね。